リレーコラムについて

コピーライターになれない人生 〜名古屋編①〜

入江亮介

ラジオからは、
レミオロメンの『太陽の下』が流れている。

2006年4月、ぼくは社会人になった。

コピーライターとして生きていく。

その信念のもと、
就活は広告代理店と制作会社だけに絞って受け、
唯一内定をもらえたのが、
名古屋の広告代理店、三晃社という会社だった。

入社前から、人事にはコピーライターへの熱い想いを語り、
なにがなんでもクリエイティブ局に入ると息巻いていた。

そして、1ヶ月間の研修が終わり、
配属先が決まった。

 

「入江亮介、第3営業局への配属を命ずる」

 

え、営業??うそでしょ???
ぼくのあふれるコピー愛を聞いてましたよね…!?

そう、前年にひとつ上の先輩たちが
“クリエイティブ局に行かせてくれてもええじゃないか騒動”を起こし、
こぞってクリエイティブ配属となっていたため、
自分の枠はもう余っていなかったのである。
(枠が余っていても実力的に入れていたのかは微妙だが…)

こうして、ぼくのコピーライターになれない人生が始まった。

当時、会社ではチューター制度というものが導入されており、
ひとりの先輩営業に付き、
そのもとで仕事を覚えていくという体制が取られていた。

毎日、先輩営業に同行し、
接待でお酌をし、
2chに書かれたクライアントの悪口を削除する。

それ以外は特になにもすることがない日々だった。

いまなら分かる。

自分にまかせられる仕事など、なにひとつなかったのだ。

 

そんなある日、事件が起こる。

部の飲み会が行われた翌朝、
会社に行くと、突然チューターから会議室に呼び出された。

 

「昨日のお前の発言はなんだ」

 

なにを言っているのか分からなかったのだが、
どうやら飲み会の場でチューターに向かって、

「あなたにはついていけないです」

という暴言を吐いてしまったらしい。

チューターは怒り狂った。

 

朝日の差し込むさわやかな会議室に、響き渡る怒声。

 

いや、「きょうは無礼講で」と昨日誰か言ってなかったか…?
あ、“無礼講”ってほんとうに無礼したらダメなやつなのか。

社会人の洗礼を、浴びに浴びた。

いまなら分かる。

完全に自分が悪い。

しかし、後日、
気づいたら人事にメールを送っていた。

 

「辞めます」

 

コピーライターにはなれない。入社早々ブチギレられる。
ふんだりけったりだ。

なにより、このまま営業に染まり、
いつしかコピーライターへの情熱が消え失せるのが怖かった。

「ぼくも昔はコピーライター志望だったんですよね〜」

そんな営業になるのだけはイヤだった。

 

だが、結局チューターから電話があり、

「考え直せ。いまならまだ戻れる。」

そう丁寧に諭され、
翌日、
頭を丸刈りにして、
社長に頭を下げて許してもらった。

 

そこからは心を入れ替えた。

そもそもこんな態度で仕事をしていたらダメだ。

営業として成果を出せば、認めてもらえれば、
クリエイティブへの道もひらけてくるのではないか。

そう思い、新規で電話をかけまくり、
アポを取り、一人で営業活動をはじめた。

成果は出なかったが、
少しずつ信頼を回復していった。

 

ドイツのピッチでは、ヒデが天を見上げて倒れている。

 

暑い夏がはじまろうとしていた。

 

 

 

 

***

初めまして。

TCC新人賞同期のB-BOYコピーライター松嶋さんから
バトンを受け取りました、
日本経済社の入江亮介と申します。

お盆前最後の1週間、よろしくお願いします。

 

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