リレーコラムについて

コピーライターとして生きる人生 〜赤坂編〜

入江亮介

iPhoneからは、
フジファブリックの『若者のすべて』が流れている。

2024年6月、ぼくはTCC新人賞をいただいた。

クライアントは、「HIKIDASHI」という、
子どもたちに包括的性教育を広める活動をしているNPO法人で、
同団体のシリーズポスターで受賞した。

結論からいうと、
新人賞をとるのに“環境”なんて関係なかった。

いまぼくは日本経済社という広告代理店に所属しているのだが、
この会社に入ったから受賞できたわけではない。

CCレマンでも受賞することはできたのだ。

どんな場所にいても自分で仕事は作れるし、
それぞれが置かれた境遇なんて言い訳にならない。

それを、この賞から学んだ。

といっても、
かんたんに受賞できたわけじゃない。

新人賞に応募するのは8度目で、
そのうち一次審査を通過したのは、
2023年の一度だけ。

それまで、箸にも棒にもかからなかった。

受賞した作品は、
前回のコラムでも書いた
悠くんと中島さん。

このふたりと膝づめで、1ミリの妥協も許さない姿勢で作りあげた。

ふたりには一生頭が上がらない。
心から感謝している。
(この場を借りて、あらためてありがとうございました!)

井上悠くんは、フリーで活動している百戦錬磨のデザイナーなので、
お仕事があれば、ぜひ声をかけてみてください。
https://yuinoue.jp/

 

新人賞の受賞式には、
ふたりのほか、
川見さんと宮原も駆けつけてくれた。

ぼくの人生でまちがいなく最高の瞬間を、
大好きな仲間たちと祝えたことが
なによりも嬉しかった。

 

コピーライターになれなかった名古屋時代、汐留時代。

あの頃の自分に、

「お前、10年後はコピーライターになって新人賞も受賞してるぞ!」

そう言っても、100%信じないと思う。

 

もしこの瞬間、
なにかのまちがいで奇跡的にこのコラムに迷い込んでしまった
コピーライター志望の方がいたら、
どうか自分を信じて、そのまま突き進んでほしい。

そして、20代、
いや、若いうちの挫折なんて、
いくらでも挽回できます。
(わが人生がそれを証明している)

 

新人賞を受賞したいま。
もうコピーライターとしてはやりきったと思った。
これで引退したとしても、なんの悔いもない。

若くしてこの賞を受賞したコピーライターは
これがはじまりになると思うのだが、
スタンダードではない道(?)を歩んできた自分にとっては、
新人賞はラスボスだった。

しかし、定年まであと20年以上あることに気づいた。
まだまだお金を稼がないと家族を養っていけない。
だから、もう少しがんばる。

ならば、コピーライターとして、
もうひとつ上のステージに行こう。

まず手始めに、これまでとれていない、
若いうちにとっておくべきだった賞を狙おうと考えた。

そのひとつが、「朝日広告賞」。

それは、野心的な若者といっしょにやることに意味がある。

会社でともに仕事をすることの多かった若手デザイナー、
市野さんと小幡くんを誘って、3人で挑んだ。

やるなら受賞しないと意味がない。

新人賞同様、全力でやった。

 

すると先日、運よく2作品で入選することができた。
https://www.asahi-aaa.com/backnumber/2024/index.html

ひとまわり以上離れた若手といっしょに、
力を合わせてなにかを成し遂げる。

これまでの人生で味わったことのない、新しいよろこびだった。

 

ぼくが所属するクリエイティブ局には、
このふたり以外にも
多くの若手コピーライター、デザイナーがいるのだが、
みんなめちゃくちゃ優秀だ。

名古屋で飲むことと打つことに励んでいた
あの頃の自分と比べると、
キラキラまぶしすぎる。

 

いったい20代の自分は、なにをしていたんだろう。

 

 

まぁいい。

 

 

ロスジェネの逆襲は、ここからはじまる。

 

ぼくは、まだまだ渇いている。

 

 

 

 

 

これは、最後の花火じゃない。

 

 

 

 

 

 

***

5回にわたり、拙文を失礼しました。

ここまで読んでくれたあなたとは、
いつかコピーを肴に杯を交わす絵が
ぼくには見えます。
https://x.com/ryo_ryo_mjg

 

次回は、
電通名鉄コミュニケーションズの
山中彰さんにバトンをつなぎたいと思います。

山中さんは、日本AED財団のお仕事で、
2023年に新人賞を受賞されました。

それでは山中さん、よろしくお願いします!

 

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