リレーコラムについて

ギャンブラーになった日

辻中輝

「来週、マカオでブレストでもするか。」

 

スゴロクで飲んでいると、わくちゃんがまた変なことを言いはじめた。

理由は知っている。

昨日の夜、ブラックジャックの話をしすぎたせいだ。

 

ということで、今日は僕があの日。

わくちゃんにしたブラックジャックの話を書きたいと思います。

少し長くなりますが、一緒にマカオ旅行に行ったつもりで読んで頂けばと思います。

 

・・・・・・・今は昔、コロナになる前のこと、

僕はボーナスが出る度に、現金20万円を握りしめて、

会社の先輩たちとマカオに通っていた。

カジノでブラックジャックをするためだ。

 

僕にギャンブラーの道を教えてくれたのは、

会社の先輩の川村さんである。

 

あれはたしか2016年。すこし日差しが強くなりはじめた社会人3年目の5月頃。

当時一緒に仕事をしていた、僕と、宮地さん(通称:みやっち)と、

後輩の各務くん(通称:KKM)は、

汐留ビル22階の会議室を借りて、川村さんのカジノ講義を受けていた。

 

「これを来月までに覚えてくるように。」

そう言いながら配られたプリントには、

謎の数字とS、H、D、Pという文字が並んでいた。

 

Sは、スタンド。

何もせずに自分のターンを終わらせる動作。

手のひらをテーブルにかざす。

 

Hは、ヒット。

カードを追加で引く動作。

人差し指で、トントンと2回テーブルを叩く。

 

Dは、ダブル。

掛け金を倍にしてカードを一枚だけ引く動作。

人差し指を立てて、1をつくる。

 

Pは、スプリット。

同じ数字の手札を二つに分ける動作。

手でチョキをつくってテーブルに置く。

 

なるほど。どうやら、この表に従ってプレイすると勝ちやすくなるらしい。

僕は、受験生のようにベーシックストラテジーを覚え、

アプリゲームでブラックジャックを練習しながらマカオに向かった。

 

ホテルに着いたら、金色の自動ドアをくぐり、

甘い香りに導かれながら、大理石の廊下を歩き、フロントでチェックイン。

そして、ひとまず近所の飲茶屋さんで、ニンニクの効いた青菜炒めをつまみに、

青島ビールを飲みながら、

それぞれが持ってきた軍資金を確かめ合ったり、

どのぐらい勝ったらやめるかなどを相談し合う。

 

そして、いよいよ賭博の時間がやってくる。

ひとまず僕は、15万円を500ドルチップ20枚に交換した。

(500香港ドル=約7500円)

 

ブラックジャックの卓につくと、

僕は震える手を抑えながら500ドルチップを1枚とって、机に置く。

すごい速さでトランプが配られ、気がついたら500ドルチップが消える。

そこで、やっと負けたことに気づく。

そうやって、30秒ぐらいの間隔で500ドルチップは増えたり減ったりしていくのだ。

 

最初は緊張したが、やっているうちに不思議と手の震えは止まり、

金銭感覚は狂い、500ドルチップはただのプラスチック樹脂の塊に見えてくる。

気がつくと、あっという間に時間が過ぎて、夜ご飯の時間になっていた。

 

夜は決まってカジノフロアの隅にある、ちょっと高級なステーキ屋さんに集合する。

そして、ワンベットステーキを食べながらお互いの戦況を報告し合うのだ。

 

ワンベットステーキというのは、

僕たちが名付けた、めちゃくちゃ旨いヒレステーキの名前だ。

このステーキが1人前500香港ドル。

さっき30秒でやりとりしていたワンベットと同じ金額なのだ。

 

「うわ、ふつうに安い。」

「しかも、ふつーに旨いっすね。」

「ふつーーに。」

金銭感覚が狂った賭博師たちは、

異様なノリとテンションで肉を頬張り、赤ワインを傾け、

また賭場へ帰っていく。

今思えば、ここらへんから僕たちの理性は崩壊しはじめていた。

 

みやっちは、テーウン!テーウン!という謎のサイレン音を叫びながら、

ストラテジーを無視した無謀なヒットを連発。

(これを、僕たちはストラテジーの向こう側と呼んでいる。)

 

KKMは、勝ったときの行動をルーティン化しはじめ、

水を一口飲み、メガネを触り、こめかみを人差し指で掻いてから、

チップを机に置くという、奇妙なプレイスタイルを確立していた。

 

そんな中、ベーシックストラテジーを守り続けていた辻中に異変が起きはじめていた。

最初に気づいたのは、同じ卓に座っていた川村さんである。

 

「あれ、辻中?いま、何連勝?」

「4連勝目です。」

「ちょっとやばいね。」

「来てますね。ふつーーに。」

「ふつーーーーーーに来てるね。」

 

「おれ、辻中に乗っかっていい?」

川村さんはそう言って、

僕の500ドルチップの後ろに、同じ金額のチップを置いた。

これは相乗りと言って、マカオでは人のプレイに乗っかることができるのだ。

 

そうやって順調に勝ちを重ねていると、

「ふづーーーーにぃーーーー!」

と叫びながら、みやっちがストラテジーの向こう側から帰ってきた。

そして、KKMは「僕あとこれだけになりました。」と、

かろうじて残った500ドルチップ3枚を手に持ち奇妙に笑った。

そして、僕たちは最終的に4両連結の列車になった。

500ドルチップの配置は以下の通りである。

 

←辻中

←川村さん

←みやっち

←KKM

 

そこからが止まらなかった。

何をしても、勝ってしまうのだ。

連勝している間、僕は額から汗がとまらなくなり、

配られてくるトランプが光って見えていた。

 

川村さんは、

二の腕で口を抑えながら、

その異様な光景を眺め、

「もうこれ、ATMやん。」

とつぶやいた。

 

僕たちはこの列車を、

「辻中エクスプレス」と呼ぶことにした。

 

そして最終結果は、+5万香港ドル。

人生初の賭博は大勝利に終わったのである。

 

ちなみにみやっちは、チェックアウト10分前。

手元に残った軍資金を全てルーレットの赤に置いて2倍に増やし、

「置きっち」というあだ名に変わっていた。

 

僕は、帰りの飛行機の中でつぶやいた。

「ああ、もうマカオに行きたい。」

完全にギャンブルの魅力に取り憑かれてしまったのである。

 

・・・・・・・ということで、

来週からわくちゃんとマカオでブレストすることになった僕は、

電通九州の部屋を予約し、ベーシックストラテジーの表を印刷するのであった。

ふつーに。

ーーーーーーーーーーー

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

九州の話を書こうとしたはずなのに、

気がついたら取り憑かれたようにマカオの話を書いていました。

ギャンブルって怖いですね。

今週もそろそろ終わってしまうので、

次回は九州の話に戻りたいと思います。

 

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