言葉が鍛えられる場所
言葉はどこで鍛えられるのか。
大学生の頃に聴いた大江健三郎の講演で
聴衆からの「どうしたら文章が上手くなりますか」という無鉄砲な質問に対し、
大江は「一番いいのは手紙を書くことです。」と答えていた。
それはさておき、目がさめると外国人キャバクラにいた。
その直前、仲の良い先輩たちと六本木でテキーラをしたたかに飲んだことは覚えている。しかし今は知らない店で床に座り込んでいた。周りには椅子に座った様々な人種の女性。そして目の前に座っていたのは日本人の女性だった。
「あなた、面白そうだから毎日わたしに日記を書いて送りなさい。」
「はい。」
翌日からその人にLINEで日記を送る日々が始まった。
日記はだいたい200字から300字前後で、朝起きてから眠るまでの日常を綴った。その人はその日記をとても面白がってくれた。
ある日、その人からLINEが届いた。
「一方的に日記を送られるのは悪い気がするから、わたしも日記を送ります」
交換日記が始まった。
夕方に目覚め朝に眠るその人の日記は、
見たことのない世界を見せてくれる窓になった。
時折、一行の問いかけも送られてきた。
「生きる喜びとはなんでしょう?」
「仕方がないって言葉って、不思議な言葉だと思いません???」
「最近、腹が煮え繰り返るほど、誰かに嫉妬した事ありますか?」
できるだけ丁寧に思考し、できるだけ丁寧に答えた。
ある日、日記の代わりにメッセージが届いた。
「三島さんは、元彼によく似てます。発言や思考が。」
元彼はいつもノートに何かを書いている人で、
そこには「愛=許すこと」、
などとその人の思索の断片が綴られていたという。
そしてメッセージの終盤に、
「その人は逮捕されるまでXXXXXをどうしてもやめられない人だった。」
という言葉が続いていた。
似てるのか。と思った。
よく晴れた春の日に、こんな言葉が届いた。
「この世界には何もないのです。システムも。送信ボタンも。」
この言葉は「旅行」中に書かれたのだということが翌日の日記でわかった。
色々な事情からその「旅行」に自分は決して行くことはできないのだけれど、
そういう気分になるものなのかと勉強になった。近くて遠いもう一つの人生を生きている気がした。
半年以上、日記は続いた。人生で最長の日記になった。
苦手な日記も、読んでくれる誰かがいると続けられるということを知った。
同じような日々の中で、昨日とは違うことを書こう。
その頃は、そう思いながら生きていた。
自分を知った。言葉を知った。人間を知った。
文章における小さな工夫が積み重なった。
言葉はたしかに鍛えられた。あれから日記は書いていない。
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