リレーコラムについて

明日はパラダイス

辻中輝

福岡に来て2年ぐらいたった頃、僕は仕事に明け暮れていた。

 

電通九州のクリエーティブ局は、30人ほど。ADなんて数人しかいない。

そこに、九州全土に点在する支社から、ありとあらゆる仕事が入ってくる。

 

なので、多くの作業は営業とマンツーマン。

よほど大きな仕事ではないかぎり、何人もの人材を割くことができない。

東京だとあり得ないが、ひとりで競合に参加することも珍しくないのだ。

 

それを支えてくれるのが、営業の人たち。

ここで、特に印象的なエピソードがある大好きな営業の先輩たちを紹介したいと思う。

 

長崎県庁の大会議室で、プレゼン中にHDMIの調子が悪くなった時。

自分のパソコンを頭の上に掲げ、ラウンドガールのように

歩き回りながらVコンを流してくれた男気あふれるイケメン営業マン高村さん。

 

仕事中に僕のデスクに申し訳なさそうに近づいてきて、初対面の僕に、

「辻中くんだよね?来週どこか空いてない?合コンどう?

でも、その代わり一個だけ仕事頼みたいっちゃんね。」という気が狂った会話をしてきて、

それだけで大好きになった。愛され営業マン、矢野さん。

 

仮篇試写でCMを流すと、開始3秒でぎょろっとした目を輝かせ、

「いいね辻中!!これいいよ!!売れるよ!!」と言ってくれる。

ポジティブすぎる営業マン、樋口さん。

(ちなみに、僕は樋口さんからの電話を受け取りすぎて、

通話の冒頭で樋口さんが必ず言う「あ、ごめんね〜。」のモノマネができる。)

 

EDMと自主プレが大好きで、深夜2時ぐらいにハイテンションのメールをくれる。

(たぶんEDMを聴きながら次の自主プレの企画書を書いているのだろう。)

超優秀なワーカホリック営業マン、鶴さん。

(ちなみに、なかよしのクライアントからは2人まとめて「てる&つる」と呼ばれている。)

 

他にもお世話になった方がたくさんいるのだが、

全員紹介しようとするとこのコラムが終わらないので、ここらへんでやめておく。

 

何を伝えたいのかと言うと、電通九州のクリエーティブは、

人間力あふれる営業の人たちに支えられながら、

ふつうだと回せない量の仕事を回しているということだ。

 

それにしても、あの時の仕事量は異常だった。

日中の予定はプレゼンや打ち合わせでぎゅうぎゅうに詰まり、

夜はUberで頼んだクボカリー(警固のカレー屋さん)

のキーマカリーを食べながら、朝までに企画する。

 

本当に時間がない時は、

オリエンを聞いた日の夜に、企画書を書きながら、企画も考えて、

そのまま文字コンテに起こしていき、プレゼン資料を即日で完成させたりしていた。

ひとり体制だからこそできる、効率化の究極形態である。

 

あと1年で出向が終わる。

どの仕事がチャンスになるかわからない。

そして、もしかしたらこの人との仕事は最後になるかもしれない。

福岡にいる時間を無駄にしたくない。

 

焦っていた僕は、

営業の人から相談された仕事をすべて受け、

無謀なスケジュールを馬車馬のように駆け抜けていた。

 

プレゼンして、競合に勝って、CMを納品して、稼いで、稼いで、、、。

充実した、忙しい時間。でも、何か大事なことを忘れている気もしていた。

 

そんな中、わくちゃんからラインが来ていた。

「来月、燻製合宿あるから空けといて〜。」

燻製合宿とは、わくちゃんの高校からの友達であり、アスパラ農家の冨士川さん(通称:ふじっち)の家に

いろんな人が集まり、昼から燻製をつくって呑んだくれる会である。

 

ふじっちがアスパラ農家になったのは、

わくちゃんが仕事で関わっていた佐賀県移住プロジェクトがきっかけらしい。

当時、某リサイクルショップで店長をしていたふじっちは、

太っていることを社員に指摘され、毎日体重を測って朝会で発表させられていた。

そして、痩せなければ減給と言われたらしい。いわゆるブラック企業である。

 

そんな状況を見かねたわくちゃんは、

スゴロクで、ふじっちに一本のアスパラを渡した。

「うまいやろ?」

「めっちゃくちゃうまい。」

「これを作る農家の人なら、紹介できる。」

そこからふじっちは、農業の勉強をはじめ、

脱サラして、アスパラ農家になったらしい。

 

佐賀県太良町の海が見える高台の広い一軒家に、

今のふじっちの家がある。家賃は3万円だ。

 

ふじっちの家に着くと、

燻製が大好きな髭もじゃのおじさん、神原さん(通称:燻じぃ)がみんなに言う。

「働かざるもの、食うべからず。」

そして僕たちは、ダンボールに針金を通して燻製装置をつくり、

椅子や机を並べていく。

(僕はすぐサボってビールを飲むので、いつも燻じぃに怒られる。)

 

そして、灯すのにめちゃくちゃ時間がかかる、

古い灯油ランタンの小さなレバーを、手が痛くなるまでポンピングする。

(ここで、もう電気のランタンでいいんじゃない?と言うと燻じぃに怒られる。)

 

そして、ひとしきり準備が終わると、

チーズ、鶏肉、茹で卵、ベーコン、そしてアスパラ、

きらきらと光る海を背景に、ゆっくりと燻製されていくを眺めながら、

僕たちは酒を飲むのだ。

 

僕は、農家の樋口さんが特別に持ってきてくれる、

棚田のいちばん水がきれいな一段目でつくったお米が大好きで、

いつも、おにぎりを食べすぎてしまう。

 

効率とは、ほど遠い。

でも豊かな時間がそこに流れていた。

 

次の日、福岡に戻った僕とわくちゃんはスゴロクに行き、

お土産のアスパラを大野さんに渡して、ハイボールを飲んだ。

 

すると、わくちゃんが僕に話しはじめる。

「ふじっち、実はきゅうり農家になるところだったんよ。」

「え、うそでしょ?なんできゅうり?」

 

アスパラ農家を目指して、農家の勉強をはじめたふじっちは、

JAが無料で開催している農家の勉強会できゅうりを勧められたらしい。

初心者にとって、アスパラは難しい。

まずは、安定して作れて、収益を上げやすいきゅうりからはじめた方がいい。

そう言われたそうだ。

 

悩んだふじっちが、スゴロクでわくちゃんに相談する。

「おれ、きゅうりからはじめることにするかも。作りやすいらしくて。

そこでちょっとずつ練習して、その後、アスパラを作っていこうかな。」

わくちゃんは驚きながらも、

「ああ、そうなんや。まあ好きにしたらええと思うけど。」

と言った。

 

すると、その話を静かに聞いていた大野さんが、珍しく怒ったらしい。

「ふじっち。おまえここでアスパラ食って農家になるって決めたんじゃなか!

きゅうりつくってどうするっちゃ!」

そこで、はっと目が覚めてアスパラをつくることを決心したという。

 

僕は「めちゃくちゃいい話ですね。」と言いながら、心がズキズキと痛んだ。

 

はたして自分は今、アスパラを選べているのだろうか。

僕の畑は、何の種を植えて、何を育てようとしているのだろうか。

営業利益、競合勝利、まわりからの評判。

そんなことばかりに気をとられて、忘れていた。

 

大学時代、父から譲ってもらった広告批評。

巻末付録についていたカンヌ広告際のDVDを一気に観た夜。

講義をサボって、大学の図書館でTCC年鑑を読み漁った日。

一倉さんの「ことばになりたい。」や、

岩崎さんの「しあわせを見つめるコピー」に感動して、何度も読み返したこと。

はじめてのボーナスをぜんぶ使ってフランスのカンヌ広告際に行ったこと。

そうだ。僕は広告が大好きで、広告を作ろうとしてたんじゃないか。

 

大丈夫。まだ間に合う。

もう一度、畑を耕して、種をまこう。

ほんとうに作りたかった、僕にとってのアスパラの種を。

実るのは、福岡にいる間じゃなくたっていい。

 

そこから、僕の働き方は少しずつ変わっていき、

今は、あの日のような無謀な働き方はしないようになっている。

 

後日、ふじっちにアスパラのお礼を言ったら、

ネーミングどうしたらいいと思う?と聞かれた。

僕は、少し考えてから答えた。

「明日はパラダイス」ってどうですかね?

ふじっちは、嬉しそうに笑った。

 

―――――――――

 

最後のコラムは、

九州時代の思い出をぎゅっと詰め込んでみました。

ああ、九州に帰りたいな。でも、東京でがんばらないと。

コラムを書きながら、いろんな思いが込み上げて、

ちょっとだけ泣きそうになりました。

 

ということで一週間、読んで頂きありがとうございました。

書いてて、本当に楽しかったです。

春田さん、バトンをくれてありがとう。

来週はコラムにも登場したわくちゃんこと和久田さんにバトンを渡したいと思います。

何書いてくれるのか、とても楽しみです。

では、またどこかで。

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