リレーコラムについて

字が美しくても、

角田 奈菜

…見せる場所がなくて、もったいない。

などと続くはずだったが、書くのを途中でやめているので
変な言葉のまま、iPhoneのメモ欄に残されている。
これは、誰かの美しい字を見てメモをした。

本当に見とれるようだったので、
この人はこの先、どれほどこの字を人に見せる機会があるのだろう、
などと、どうでもいい心配をした。

 

手書きの字に、どきっとする。

性別などは関係ない。
美しい字にはもちろんうっとりするのだが、
別にそうでなくとも、なんだかいいなぁと思う。

手書きの字には、会話したりメールのやり取りだけでは
絶対に見えない、その人の何かがにじみ出ている気がする。
性格とか、気性とか、その時の気分とか。
今まで見えなかったその部分に、魅力を感じるのかもしれない。

もうひとつ好きなポイント。
それは、筆跡がみんな昔からあまり変わらないこと。
威張っているおじさんも小学生みたいな字を書いたりするし、
大人な雰囲気の女性が、ギャルっぽい字を書くこともある。
いいとか悪いとかではなくて、その変わらなさが好きなのだ。

今でも昔からの友達の字は見たらすぐにわかるし、
親の書く字も、お名前シールを描いてもらっていた頃からずっと変わらない。
自分の字だって、小学生の頃に好きだった漫画家の筆跡を真似したまま、
なにも進化していない。

いろんな人の字を見るのが好きなのに、
大学生になったあたりからLINEがあっという間に普及して、
日常の中で手書きの字に触れることはだんだんと減っていった。

社会人になって、リモートワークになってからはもっと、
誰かの書いた字を見ることが少なくなってしまった。
メールやチャットだと、
その人らしさは筆跡ではなく「!」の数や絵文字、語尾にでる気もするが
手書きのあのにじみ出てしまう感じには絶対にかなわない。

だからときどき思い出しては、懐かしくなる。
名前がなくても誰が書いたかわかる友達からの手紙とか、
友達と憧れの先輩の字を見に、教室の前の掲示物を見に行ったこととか、
上手にギャル文字を書く友達にラクガキしてもらったプリクラも。

 

手書きの字にまつわる全てのドキドキを、
次はいつ味わうことができるのだろう。

などと考えていたら、あと数週間で友達の誕生日だと気づいた。
いつもは書かないけれど久しぶりに手紙を書いてみようと思う。
高校生の時とは違う大人っぽい字を心がけて、
もっと美しく、もっと丁寧に。

でも、きっとどう頑張っても
私の字は、私の字のままなのだ。

変わらない字をみて彼女もまた、どこか懐かしくなったりするのだろうか。

博報堂の角田奈菜と申します。
手書きじゃないのに人柄がにじみ出る、あたたかいコラムを書かれていた
先輩の海里さんからバトンを受け取りました。

昔から、学校の机とか、プリントの端くれなど
いろんな場所にメモを残していたのですが
これから1週間、この場所で、
溜まる一方で消す機会もなく残っていたiPhoneのメモたちを
無駄に掘り返しながら、コラムを書いてみようと思います。

どうぞ、よろしくお願いたします。

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