リレーコラムについて

マダムのクスクス

角田 奈菜

これは、いつかレシピを聞きたくてメモに残したものだ。
書いてから3年くらいたったけれど、彼女にはまだ聞けていない。

フランスに留学していたとき、
私はモロッコ人のマダムと、反抗期の息子と住んでいた。
学生アパートの激戦区パリで、知り合いから紹介された部屋。
パリ市庁舎の目の前で、かなり歴史のあるアパルトマンで
ものすごく贅沢な場所ではあったけれど、
お風呂と洗面所は小さくて水の出は悪いし、
木製の床はめちゃくちゃに軋むし、
大通りの隣だったので車の音はうるさく、
けしてパリっぽくはない、異国情緒漂う家だった。

マダムの名前は知らない。
紹介された時からマダムだったし、
住んでいる時もずっとマダムと呼んでいた。
日本語で「おばさま」と言っているようなものなので、
名前で呼ぶのが一般的なフランスでは、友達に不思議がられていた。

彼女がなぜ、母国からフランスに来て
あのアパルトマンに住み、一人で子育てをしているかも知らない。
知っているのは、
建築系の事務の仕事をしていることと、
朝晩必ずお祈りすること、
反抗期の息子と喧嘩した日には
部屋で哀愁漂うモロッコの音楽を大きな音で聴くということだけだった。

お互いに知らないことは多かったけれど、
彼女は娘のように接してくれた。

牡蠣にあたった時はスープを作って看病してくれたし、
電気暖房をつけっぱなしで出かけた時はすごく怒られたし、
学校のある日は、お弁当を持たせてくれたりもした。
そして、それは大体クスクスだった。

パスタと米の中間のような、
パラパラで、モフモフする不思議なモロッコの食べ物。
来客がある日や、少し時間があるとマダムは大量のクスクスを蒸した。
専用の蒸し器で蒸した、あっつあつのところを
油をつけた手でなんども混ぜる。
そこに大きな鍋でクタクタに煮た野菜スープをかけて食べるのが
マダム流のクスクス。
大量にできるのに、反抗期の息子はあまり食べないので
次の日は私が大量のクスクスを持って学校に行くのがお決まりだった。

漏れるからスープは入れないで、と伝えているのに
おいしいから、とスープをたくさんにいれて
カバンの中でノートがひたひたになってしまったこともある。
スープをよく吸うので、昼の時間になってタッパーをあけたら
クスクスがモクモクと倍の量になっていて、無心で食べなければいけないこともあった。

最後の方はもう嫌になって、またこれか、
と贅沢な愚痴を思いながら
友達に分けていたことも、今となっては懐かしい。

このメモを見つけて、
あのモフモフの、スープが染み込んだクスクスと
くったくたの甘い野菜が懐かしくなった。

この状況で、マダムにもなかなか会えなくなってしまった。
元気かな、と思って久しぶりにメッセージを送ったら、
今は少しの間モロッコに戻っているらしい。
なぜバカンスの終わったこの時期に戻っているのかは、知らない。

これからも絶対に忘れることのない、名前を知らない
私の人生における、重要人物マダム。

次に遊びに行ったときは、
またクスクスをいつもみたいに大量に蒸してくれるんだろうか。
それとも久しぶりだから、何か別のもっと特別なものを作ってくれたりするんだろうか。
いや、多分クスクスだろうな。

どちらにしても、今から楽しみでしょうがない。

 

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