リレーコラムについて

コロナから10年後の世界 E

日下慶太

コロナウィルスが世界で猛威を振るっている。ワクチンは開発されたものの、ウィルスは変異を繰り返し、未だ有効な手はない。多くの人が亡くなった。世界は未だロックダウンと普通の日常を繰り返している。

世界的不況になり、失業者が溢れた。特に、若者の失業率は高かった。日本では新卒の就職率は過去最低を記録している。経験のない若者を雇う余裕が企業にはなかった。仕事にありつけない若者は何もすることなく、家で無為に過ごした。オンラインで友人とつながり、ネットサーフをして、1日が過ぎていく。時間がありすぎるために、未来について考えてしまう。考える量に比例して、不安が増えていく。家でじっとしていることは難しかった。現実から逃れるために街へ出た。誰もいなくなった都会のオフィス、廃業したホテル、ビーチ、森の中に集まった。そこでは、ライブ、ダンスパーティ、演劇、詩の朗読など様々なイベントが行われた。現実から逃避するためにただ享楽的になる者、憂鬱を表現に込める者、慰め合う者。彼らはそこで同じような若者たちと出会った。友を見つけ、恋をした。しかし、親を感染者にはしたくはなかった。家に帰ってはすぐに部屋に籠り、また外に出た。そして、家に帰らなくなった。恋人同士で暮らしたり、集団で暮らす若者たちも増えた。

当然の結果として、若者たちはコロナウィルスに感染した。しかし、若さがその症状を軽く留めた。症状がひどくなっても医者には行かずに、自分たちでアビガンを飲んだ。アビガンは処方箋がないと手に入らないものだが、違法で流通していた。アビガンには幻覚症状があった。それに耽溺するために、健康体でありながら、規定量以上のアビガンを飲むものも多くいた。若者たちにとって自分たちが感染することは問題ではなかった。死んでしまえばそれはついてなかった。それだけのこと。彼らにとって家にずっと籠もって死んでいるように生きる方が辛かった。

若者だけの共同体から様々な文化が生まれた。一連のそれらの動きは『パンデミック・カルチャー』と称された。パンデミック・ロック、パンデミック・ヒップホップ、パンデミック・ディスコなどの音楽から、映像、文学、演劇と新しい表現が次々と生まれた。パンデミック・カルチャーの聖地とされた武漢を若者たちは目指した。度重なるロックダウンがあった武漢では、若者たちは当局の目をかいくぐって、地下に広大なスペースを作った。そこには地上で手に入らないなにもかもがあった。大人が立ち入れない、若者たちの楽園であった。 この楽園から生まれた作家、フェイ・ランの『Wuhan Underground(原題:地下的武漢)』は若者たちの間でバイブルとなっている。

世界は国境によって分かれるのではなく、世代によって分けられた。「若者vs大人」という図式ができあがった。過激な若者たちは「おれたちがこんなに苦しいのは、こんな社会を作った大人たちせいだ。感染していなくなればいい」と世界各地でゲリラパーティをした。特に渋谷スクランブル交差点でのパーティは、実際に感染者が出たこともあって、大問題となった。国家は若者を取り締まり始めた。イベントは検挙され、違法占拠は追い出された。さらに抵抗するものは刑務所に収容された。

しかし、その時、あることに気づいた。刑務所に収容された世界中の若者からコロナウィルスの患者が出なかったのだ。過密で衛生状況が悪い刑務所もたくさんあったのにである。検査をすると、逮捕された全員が抗体を持っていた。若者たちはその暮らしの中で、集団免疫を獲得していたのだった。彼らは釈放され、社会で重宝された。世界中どこにでも移動することができた。誰かにうつすことも、うつされることもなかった。若者たちを習って、集団免疫を獲得しようとする動きが世界で広がっている。

私は、若者の間で人気のバンド「パンデミック・ジャガー」のプロモーションを担当している。宇都宮のオフィスビルを占拠し、集団生活を営んでいた4人組のロックバンドである。アビガンの幻覚作用を音楽にいち早く取り入れた彼らの音楽は Pandemic Psychedelic Rock と称され、世界的に人気である。武漢の『WUHAN ROCKDOWN FESTIVAL』に日本人で初めて出演している。彼らの新曲『We are positive』のMV撮影が先日あった。現場を預かる私は、スタッフみんなにマスクをしてもらい、バンドからは適切な距離を取って撮影を進めた。映像ディレクターが魚眼レンズを使いたいとこだわったが、被写体との距離が近くなるため、私は却下した。「ぼくは若いから大丈夫です」とディレクターは盾ついたが、感染者が出たとなれば会社で大きな問題となる。断った。現場はピリピリとした空気になったが、撮影はなんとか終わった。いいものができた。パンデミック・ジャガーのメンバー全員が「ありがとう」と私に近づきハグをした。そして、ウィンクをした。あれから、私は微熱が続いている。

 

 

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5本で終わるとありましたが6本で終わります。

次が最後の1本です。

NO
年月日
名前
4918 2020.07.10 杉山恒太郎 CallitCovid19 コビッドナインティーンと呼ぼうよ!
4917 2020.07.07 杉山恒太郎 変わること、変わらないこと
4916 2020.07.06 杉山恒太郎 おかえり GINZA
4915 2020.07.03 山根哲也 零度目のバトン
4914 2020.07.02 山根哲也 何度目かの春
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