わたしのこと
「坂本和加」
みなさんは、コピーを書いて誰かが泣く、という経験をしたことがあるでしょうか。
私にはあります。
独立2年目、宮田さんとの仕事でのことでした。
独立してすぐ、わたしはとんでもない「しくじり」をしました。
ちゃんとやっていけるんだろうか、という不安。
自分の仕事を年鑑に載せないと消えちゃうかも!みたいな焦り。
「自分を出さなくては」ということをしていた時期がほんの少しありました。あほ。
まんまと上手くいきませんでした。当然です。
それでクビになった仕事がありました。
フリーランスにとってそれは命取りです。
当時は結婚してたので「片手間にやってもいい」なんて強がりながら、
自分を試してみたい気持ちもあり事務所を構えて、崖っぷちでした。
さすがにこのままではまずいと気づいた私は、
みうらじゅんの「自分なくし」という話を思い出します。
「自分なくし」とは、「自分探し」の対義語として、自分という概念やエゴを手放し、相手や他者、状況に没入することで、よりニュートラルで自由な状態になることを目指す考え方で、仏教思想やみうらじゅん氏の哲学に由来(AI調べ)
自分を出して上手くいかなかったんだから、なくすしかない。笑
それを真剣にせっせと実践していました。
フリーランスは「食っていくことのほうが大事」なので
広告で自分を出すなんてダサい、と本気で思って“やらざるを得”なかった。
宮田さんとの仕事は、そんな中で始まりました。
半年くらいたった頃、宮田さんが「世界のキッチンから」の
次のワードがほしいと言うようになりました。
「世界のお母さんに負けられない」というコピーでローンチしたブランドも、
時代が流れ、台所に立つのは「お母さん」だけではなくなった。
というのがその理由でした。
特に制作納期があるわけではない仕事です。
でも次のステージに行くために、ブランドにとって必要な言葉。
なんどか「違うなあ」というやりとりのあと、
少し長い文章から書いてみるというアプローチを取りました。
すると最後に「しぜんと生まれた言葉」も出てきました。
すべてを宮田さんが静かに読み、翌日、クライアントに見せることに。
すると、初期からブランドを担当していた女性が、ぽたぽたと、大粒の涙を流した。
私は、ものすごくびっくりしました。
まったく予期してもいなかった。
でも。感動したんだと、すぐにわかった。
事務所に戻り、一倉さんに電話をしました。
「あの、私のコピーを呼んでお客さんが泣きました」。
電話口の私も涙が出てきて。うれしくて。やっと同じに、一人前になれたんだと思って。
プレゼンで、一倉さんの書いたコピーでクライアントが泣いたというのは、
聞いたことがありました。それが私の目の前で、その日、起きた。
長らくコピーを書いてきて、そのとき心から、ほんとうに「満足」しました。
書いたもので誰かが泣く、という経験をもつコピーライターは
そう多くはいないはずです。だから。
同席していた田中さん(アートディレクター)は後で「俺のデザインで泣いた人は居ないなあ」と
言っていました。たしかに。デザインで「泣く」って、なかなか聞かないかもしれない。
でも言葉ではそれができる。
しかも私たちはコピーライティングという仕事を通して、それが叶う。
それができるようになるのに、私は遅くて、ほぼ20年かかってしまいました。
でもその経験を通して「なんだ私はこのために生まれてきたのか〜!」と思えるまでに腹落ちしたんです。
「やってきたこと、あってたー!」って。笑
20代のとき、「考える仕事、書く仕事って終わりのない仕事!楽しい!」って本気で思っていたので、
コピーはこれ以上上手くならないな、と思ったことも驚きでした。
思いがなければ書けないものだ、ということもわかりました。
ところで。
その、最後に「しぜんと生まれた言葉」は、
今もソルティライチのパッケージ裏面にのっています。
皆さんにはなんてことない文章ですけれど、
ブランドの言葉となり、ながらく使っていただいてます。
飲むついでに、よかったら見てみてください。
長文読んでくださってありがとうございました!
年の暮れ、どうぞよいお年をお迎えください。年始は「ナカヤマサチコ」さんが走ります〜♬