まぐろ
「おいしいまぐろを食べなさい」
それが、母の最期の言葉でした。
CMのワンシーンみたいですが、
確かにそう言い遺しました。
「銀座でも赤坂でもいい、
うんとおいしいまぐろを食べなさい」
僕の母は、去年7月に亡くなりました。
胆嚢がんという、
見つけづらい場所にあるがんでした。
なぜ、まぐろだったのか。
すき焼きでも上海蟹でもなく、なぜまぐろなのか。
(まぁ好きではあるが)特に大好物だったというわけでもない。
まぐろを巡る、母と僕の思い出もあまりない。
人が現世に遺す、最期の言葉。
それはときに「壮大な問い」となって、
生きる者たちの中に響き続けます。
「話せばわかる」
五・一五事件で撃たれた犬養毅が、最期に言ったとされる言葉です。
対話の力を信じ続けた犬養の生き様がそこに凝縮されています。
「最強の者が我が帝国を継承せよ」
これはアレクサンドロス3世の最期の言葉です。
ONE PIECEの冒頭みたいです。
グランドラインを巡る壮大な冒険譚が始まりそうです。
「最期の言葉なんてものは、
生前に言い足りなかったことがある
バカタレのためにあるものだ!!」
人間の歴史は闘争の歴史であると
看破したマルクスは、
死の間際までその拳を下ろさなかった。
ほんと、厳しいおじさんだ。
不謹慎なことを承知で言えば。
コピーライターは、最期にどんな言葉を遺して死ぬんだろう。
そして自分だったら、何て言うんだろう。
どうせなら、語り継がれること言いたいな。
そんなことを考えます。
誰か、「コピーライターの遺言集」つくってくれませんかね。
「怖くないの?」
告知をされたころ。
おそるおそる、母に聞いてみたことがあります。
「ぜんぜん怖くないんだよね」
母は、強い人でした。
弱い姿をまったく見せない人でした。
入院を頑なに拒み続け、弱音を一言も吐かず、
最期は自宅でみんなに看取られながら、
静かに息を引き取りました。
強かったなぁ。
おつかれさま。
マルクスほどじゃ、ないかもしれないけれど。
もうすぐ、一周忌です。
ちょうどその頃提案していたキングジムさんのお仕事で、今年TCC賞をいただきました。
ありがたいかぎりです。
「おいしいまぐろを食べなさい」
あの言葉が、こんなタイミングでこそ意味を持って響きます。
誰か、おいしいまぐろ、食べさせてくれないかな。
(ランチでもいいです)
次回は、Drillの藤曲旦子さんにバトンを渡したいと思います。
大変な局面でも芯の折れない、頼もしいコピーライターです。
(いつもありがとうございます)
そして、その周りにはいつも青春の空気が感じられるのは僕だけでしょうか。
それでは藤曲さん、よろしくお願いします。
一週間お付き合いいただき、ありがとうございました。