リレーコラムについて

ずっと福岡にいるものと思っていたのに

玉川健司

さて、遅くなりました。

40歳になる年に、
このまま福岡で仕事をしていくのだろうなという思いはありました。
それは、疑うこともなく。身をまかせるままに。
そう考えると、なんだか節目として
他の会社に、試しにアプローチしたくなりました。
年齢的にもどうせ落とされるならと、
大きな会社2〜3社に履歴書をおくりました。

それから全く音沙汰なく、一年くらい過ぎました。ぼくも忘れてました。
ある日、見慣れない宛先からメールが届きました。
今はもう退職されましたが、ADKの清水健さんからのメールでした。
「一度会ってみませんか?」という内容。
決して「面接」という感じではなく、
「飲みましょう」的なその内容に惹かれ、飲みのお誘いを受けました。

ADK九州支社の隣の居酒屋で、清水健さんとお会いしました。
いろいろ話していく中で、一緒にお仕事したいという気持ちになりました。
次回、東京での面接をとりつけならが、内心ちょっと迷っていました。

すぐに懇意にしてる監督に相談しました。
彼は無邪気に笑いながら(イメージです)こうメールをくれました。

「相談してきたってことは、行きたいということでしょ。」

それで僕の腹は、ほぼ決まりました。

それから三井さんにも相談しました。
三井さんはいろいろ教えてくださいました。
その時の内容は、今でも参考になるようなことです。
入社してからもいろいろ気にかけてくださっています。

森川にも相談したっけ?忘れました。森川はもっと気にかけてくれ。

ざっくりこういう経緯で遅い4度目の転職に向かって行きました。
なんかオチとかなくてすいません。

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