《書籍紹介》魅せられて、ヴェネツィア/新井巖
『魅せられて、ヴェネツィア』
迷宮都市に魅せられた人々と、音楽のあゆみ
著者:新井巖
出版社:言視舎
定価:3,000円+税
A5判
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書評 仲畑貴志
駆け出しのコピーライターであった頃、
「この美味しさは、とても言葉では伝えきれない。」というコピーを書いて、
「そこをなんとか伝えるのがプロだろう」と教えられたことがある。
でも、直接触れなければ届かない感覚というのは、やはりある。
たとえば、街が孕む空気感ということでイタリアに限定すれば、
マテーラのサッシとヴェネツィアが思いうかぶ。
初めてヴェネツィアを呼吸したのは、1976年秋の貧乏旅行。
この街の、頽廃の残り香と不安定に、自分の身体の基軸が歪んだようだった。
頽廃は創造の燃料で、不安定は幼児性の感興だ。
こどもが「高い高い」を歓ぶように。
文学者や音楽家や画家などの表現者がヴェネツィアに惹かれるのは、
彼らの特質として、頽廃と不安定への希求があるのかも知れない。
東京コピーライターズクラブの仲間、新井巖さんが、
そんなヴェネツィア狂いの本を上梓された。新井氏によると、
ヴェネツィアのオペラハウス「フェニーチェ劇場」焼失の再建募金の活動が
執筆のきっかけで、その活動はすでに四半世紀を超える。
新井さんのように頻繁にヴェネツィアに行けないわたしは、
2016年にフェニーチェ劇場で「蝶々夫人」を観た。その後、
劇場前の小路を北に行った「Vini Da Arturo」というリストランテで
「蝶々夫人」のマエストロと偶然同席したことで強く記憶に残っている。
ひとつの言葉が内包する情報の豊穣ということを考えると、
形容詞や動詞ではなく固有名詞が抜きんでているのではないだろうか?
さらに固有名詞のなかでも都市の名が一等賞だと思う。
その街の歴史と共に多くの情報を引き連れてさまざまなイメージを喚起する。
例えば、ここで書かれている「ヴェネツィア」。
地球上の都市の中でもひときわ個性的な光彩を放っている。
この書籍は、ヴェネツィアに魅せられた作者の
ヴェネツィアに寄せる賛歌であり憧憬である。3部構成になっており、
第1部「ヴェネツィアに魅せられた人々」は
ヴェネツィアを訪れた他国の人々の人となりと生き方。
第2部は「ヴェネツィアと日本」。
初めてヴェネツィアを訪れた日本人、天正遣欧使節団の少年たちを筆頭に、
興味深い日本人が登場する。
第3部は、「『私のヴェネツィア音楽史』覚え書き」。
新井流、ヴェネツィアの音楽にまつわる逸話集である。
しょっぱなで、固有名詞が連れて来る情報の豊かさの第一番に都市名を挙げたが、
二番目は人名ではないだろうか?
人名にも都市と同じく歴史があり、栄華衰勢があり、
都市にはない愛憎や親和や闘争がある。
『魅せられて、ヴェネツィア』は3部構成で綴られてはいるが、
すべてがヴェネツィアを呼吸し、生きて、表わし、死んだ人々の物語といえる。
それ故、当書の最も適切な紹介は、登場人物の名前が放つ発散である。
たとえば第1部の主だった登場人物だけでも、
ジャン=ジャック・ルソー、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、
ジョージ・ゴードン・バイロン、パーシー・ビッシュ・シェリー、
ウイリアム・ワーズワース、ジョルジュ・サンド、フランツ・リスト、
アルフレッド・ド・ミュッセ、ポリーヌ・ガルシア=ヴィアルド、
ジョン・ラスキン、ウイリアム・モリス、ヘンリー・ジェイムズ、
フリードリッヒ・ニーチェ、リヒャルト・ワーグナー、
ライナー・マリア・リルケ、ルー・アンドレアス・ザロメ、
エレノオーラ・ドゥーゼ、サラ・ベルナール、エレン・テリー、
アッリーゴ・ボーイト、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ、
アンリ・ド・レニエ、永井荷風、マルセル・プルースト、
ガブリエル・シャネル、ミシア・セール、セルゲイ・ディアギレフ、
フーゴー・フォン・ホフマンフタール、エズラ・パウンド、
ヨシフ・ブロッキー、アーネスト・ヘミングウェイ、
トルーマン・カポーティ、ジャン=ポール・サルトル、
シモーヌ・ド・ボーヴォワール等々、
夜空に浮かぶ星のすべての光が降り注いでくるような豪奢である。
ともあれ、東京コピーライターズクラブの仲間が、
このように緻密で興味が尽きない書籍を出版されたことを喜びたい。
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著者プロフィール:新井巖 コピーライター(東京コピーライターズクラブ会員)。シナリオ・センター講師。新国立劇場オペラ・プログラム編集者。著作『目からウロコのシナリオ虎の巻』(共著)『文人たちのまち番町麹町』『日めくり「オペラ」366日辞典』『洋画プログラムに夢中だった頃』(以上言視舎)、編共著『知識ゼロからのクラシック入門』『知識ゼロからのオペラ入門』(以上幻冬舎)他。
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