こんな考え方のバーボンは、フォレスターが最後かもしれない。 B-r-o-w-n.
(スコットランドの血を引く男は、ウィスキーに目覚めた)
「オールドフォレスター」は、「ジャック・ダニエル」「アーリータイムズ」両蒸留所を所有する米国のブラウン・フォーマン社の代表銘柄、さらにはケンタッキー・ストレート・バーボンの歴史上に偉大な足跡を残すバーボン通のバーボンです。
フォーマン社の創業者G・G・ブラウンがいかにして「オールド・フォレスター」を生み出したのか。
ことの起こりは南北戦争直後の1868年。米国ケンタッキー州ルイビルの街に始まります。

1968年、ルイビルの薬卸商チェンバーズの元へ奉公に出たG・G・ブラウンは、当時22歳。遠くスコットランドの血を引いて、意思が強く美しい砂色の髪をした青年でした。戦の影響で薬材は不足し、その代用としてウィスキーが求められる時代のこと、ある日、彼は友人のハロウェイ医師より、「最近のウィスキーときたら全く得体の知れない密造ばかりで患者に処方のしようもないよ」、と打ち明けられてウィスキーづくりの夢を持つようになります。
「純粋でしかもいつでも均質な品質を保証するウィスキーがあったらプレミアムをつけても買いたいものだ」。彼は、友人の言葉を聞いて「高品質のウィスキーのみをつくる」信念をかたくしていきました。「オールド・フォレスター」とフォーマン社の出発点は、ここにあります。

B-o-t-t-l-e.
(ボトルに詰めて、封をするバーボン、それは画期的アイデアだった)
数年後、ルイビルにブラウン・フォーマン社を設立したG・G・ブラウンは、1874年に比類なき高品質のバーボン、「オールド・フォレスター」を世に送り出します。このウィスキーがまさにバーボンの歴史そのものと賞されるのは米国で初めて、現在のような瓶詰めをはじめボトル売りに踏み切ったため。それは当時の米国では革新的なできごとといえます。
バーボンの草創期。この「オールド・フォレスター」が登場するまでは、すべてのバーボンは樽で売られていました。同じブランドでも樽ごとにすばらしいものもあれば、ひどいものもある。しかもこの樽は密閉されていなかったために心ない業者によってまぜものをされることもしばしばありました。G・G・ブラウンの友人のハロウェイのなげきも無理はありません。

良い酒が出来たと思えば樽を開けて、手のひらに原酒を取る。指でもんで香りをかぎ、口に含んでみる。そして暖炉の火の中へ吐き出す。G・G・ブラウンがウィスキーを吐き出すと炎の舌ができたようだったと彼の息子は語りました。彼は妥協を知りません。どこまでも良い原酒を求めました。そうやって厳しい吟味の末につくったウィスキーだから、その品質を守るためにボトル売りにこだわったのです。

L-a-b-e-l.
(彼はそのバーボンのボトルに、これ以上のものはないと書いた)
もし「オールド・フォレスター」を手にする機会があれば、確かめてください。ラベルに記された英文は、G・G・ブラウン自身が110数年前に書いたものです。彼はアンダーラインを引きThere is nothing better in the Market.(市場にこれにまさるものなし)と宣言しました。この言葉は「オールド・フォレスター」の約束。抜群の品質を守り続けることを語っています。
(そしてラベルにスタンプされた赤い記号数字は、創業当時、ボトル一瓶ごとに登録番号をつけて品質に万全を期していたなごりです。)

現在ケンタッキーでは100を超えるバーボンが製造されていますが「オールド・フォレスター」はプレミアムバーボンとして5本の指に入る程の好評をもって迎えられています。
しかし、もしも、あのG・G・ブラウンが生きていたとすれば、これを知って不満げに言うのでしょう。There is nothing better in the Market.(私のバーボンが一番うまいに決まってる)と。

N-a-m-e.
(フォレスターと名付けた理由には、3つの説があるようだ)
「オールド・フォレスター」というブランドの名もG・G・ブラウンの考案によるものです。しかしこの名前の由来については、いくつもの説があり、はっきりとしないのが事実です。有力な説は、G・G・ブラウンが尊敬してやまない人物、南北戦争で南軍の将軍をつとめた“ナタン・ベットフォード・フォレスト”にちなんで名付けたという説、またカソリックの慈善友愛会の“オーダー・オブ・フォレスターズ”から来たという説、そして、字の通り「森の人」をさすという説も。

「オールド・フォレスター」が販売されたころには近隣のオハイオ州やミズーリ州で材木伐採業が盛んであった点を考えると、G・G・ブラウンが彼らのためにウィスキーをつくったとしてもおかしくはありません。見わたす限りの牧草、ブルーグラスの緑に囲まれた地で森の人の飲むバーボンを作る。この説を裏付けるように、「オールド・フォレスター」にはグリーンをシンボルとした商標も少なくないようです。
ともあれ、こういう話は説が多いほど面白いというもの。将軍説、慈善会説、森の人説…。
どれもが、それぞれ魅力的な説ではあります。

T-i-m-e.
(創業者の信念が守れない時は、オールド・フォレスターを作ってはいけない)
「オールド・フォレスター」の歴史は、時には試練の歴史でもあります。1920年1月17日禁酒法時代の始まり、G・G・ブラウンの息子オウスレイは、従業員全てを集めて、最愛の蒸留機をぶちこわしました。つかの間の利益のために魂を売って密造業者となることを、彼はしなかった。その決意をしめすためにとった行動でした。彼もまた、父親の誠実を守りました。
禁酒法は、ウィスキーの製造・販売は禁じたもののライセンスを有するものがウィスキーを貯蔵し、それを薬問屋のもとまで輸送することは認めていました。フォーマン社はこのライセンスを取り、密造業者としての選択を拒否しながらも、ほそぼそと高品質のウィスキーを作りつづけました。1933年、禁酒法が撤廃された後も、競争が激化して品質の低下に屈してしまった業者がある中、フォーマン社は信念を守り通します。“いかなる状態にあっても、決してオールド・フォレスターの品質はおとしめない。”この信念は、永遠のものです。

ライム・ストーン・ウォーターと厳選したコーン。特別の酵母と麦芽と伝統のサワー・マッシュ。自慢の酒庫で、焦がした新樽を用いた熟成。
この信念が、選び出した正統製法ばかりです。

T-a-s-t-e.
(ほんの昨日まで、日本では味わえなかったバーボンが、今ここにある)
ここ10年近く「オールド・フォレスター」は米国のみで販売する方針をとってきました。良いバーボンは、そう大量につくれないといいうことなのでしょうか。
そのため、日本でもあのたぐいまれな、なめらかなバーボンを楽しみたい、華やかなウィスキーを手にしたいという声も何度も耳にしました。
この度ついに輸入販売のはこびとなり、あの幻のバーボンを皆様にお届けすることは私達サントリーにとっても、幸運なできごとです。
「オールド・フォレスター」をぜひお験しください。

オールド・フォレスター

NO.7693

広告主 サントリー
受賞 ノミネート
業種 酒類・タバコ
媒体 ポスター
コピーライター 米嶋剛
掲載年度 1990年
掲載ページ 28