リレーコラムについて

ボールとってください

市川雅一

しましまパンツ窃盗事件から僕が学んだことは、
攻撃するものは同時に反撃されるものでもあること。

そして、思いがけない攻撃を前に
できるかぎりの準備をしなければいけないという、
自衛の精神でした。

ただ、思いがけない攻撃とおなじくらい、
思いがけない幸福がやってくることもあります。

 

とある初夏の暑い日、僕は出社するために
会社近くの芝公園の路地裏を歩いていました。

日光で熱くなった髪の毛を
ぽんぽん叩きながら歩いていると
小さな公園に差し掛かったところで
前方から歩いてくる女性が見えました。

その瞬間、僕の目の前に、
ころころとボールが転がってきたのです。
それはボール遊びをしていた母子が
誤って公園の外に飛ばしてしまったボールでした。

 

ボールとってください

 

おそらく3歳か4歳くらいの
子どもの大きな声を聞いて、
僕はとてもうれしい気持ちになりました。

ただ飛んできたボールを持ち主に返すだけなのに。
まるで自分が選ばれた人間のような、
そのためにこの世界に生まれてきたような
うれしい気持ち。

誰しもが経験があるであろう
「ボールとってください」
この現象に僕はなぜここまでうれしくなるのか、
会社までの道のりでしばらく考えこんでしまいました。

 

出社してから同僚の岩永さんに質問すると、
それは報酬への期待のためだと教えてくれました。

ボールをとって返してあげるときっと、
幸福な母子からの「ありがとう」がもらえるはずです。

それはたしかにとても魅力的な報酬ですが、
僕は直感で、それだけではない
よろこびの根拠があるのではないかと思いました。

同時に、この奇妙なよろこびに
いつか味わったことのある
遠い記憶とのつながりを感じていたのです。

 

その遠い記憶が蘇ったのは、
それから一週間ほど経った日。
僕は会社の同僚と、元上司の方と一緒に
上野のフライデーズで夕食をとっていました。

元上司が辞めてしまったあとの会社のことや
お互いの仕事について話しながら
タコスやスパゲティを食べていたときに、
それはやってきたのです。

 

プルーストのマドレーヌのように、
店内に響くピーッというホイッスルが
すべての記憶を呼び覚ます合図でした。

スタッフがそれぞれにタンバリンを叩いたり
拍手をしたりしながら、女性3名が座るテーブルに
花火つきのバースデーケーキを運んでいきます。

今日は知らない誰かの誕生日だったのです。
そのテーブルのお客さんたちはもちろん、
スタッフの方々も、ほかのテーブルのお客さんも
ハッピーバースデーを歌いながら
主役の誕生日を祝います。

僕もタンバリンにあわせて拍手をして、
心の中で「おめでとうございます」と伝えました。
そして、「ボールとってください」と同じよろこびが
急速に湧き上がってくるのを発見したのです。

 

湧き上がってきたその気持ちとは、
「無関係な幸福に参加できるよろこび」でした。

お友達同士で誕生日を祝うこと。
公園で親子がボール遊びをしていること。
その平和な国の幸福な光景は、
同じ国に住んでいても僕には無関係なものです。

自分自身の幸せではなくても、
その瞬間に立ち会い参加することを許されたよろこび。
そんな感情があるんだと、僕は大発見をした気持ちになりました。

そしてその、「無関係な幸福に参加するよろこび」が
「共感」というものの本質ではないかとも思ったのです。

 

すこし時間をさかのぼって
「ボールとってください」の瞬間に戻ります。

ころころと転がってきたボールに
思わずにこにこしながら腰をかがめようとしたとき、
意外なことが起こりました。

 

何が起こったのかは
次のコラムでお伝えします。

 

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